映画『ファイト・クラブ』

をついさっきまで見ていた。数年ぶり。
映画も数百本見てきているけど、やっぱりこの作品は五本の指に入りそうだ。


ぶっちぎりで一位なのが『アメリカン・ビューティー』だったりするんだけど、やっぱり僕は傾向的にミクロな作品が好きみたい。

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ハリウッド映画は特にそうだけど、『事件をきっかけに主人公が成長する』という形式が多い。
けれど、『ファイト・クラブ』『アメリカン・ビューティー』両方とも、『主人公の変化(への欲求)』から物語が始まる。
事件が物語の中心ではない。あくまでも主人公が中心に物語が付随するのである。


事件が先か、変化が先か。
前者はマクロな物語が作りやすく、後者はミクロな作品が作りやすい。
そんな性質があったりもする。


が、そんなことはどうでもいいw


とにかく『ファイト・クラブ』という映画はカッコイイのである。
ブラッド・ピットの筋肉に男もメロメロになるのである。

ブラッド・ピットが演じるタイラー・ダーデンはどこまでも本質的で、どこまでもくそったれだ。
社会的に生きる人間なら誰でも彼のことを心底羨ましいと思ってしまうだろう。それほどに彼は鮮やかに映るのだ。


タイラーは「物質に支配されるな!」と言う。
それはもう痛いほどごもっともだ。人が生きるのに必要なモノは本当は少ないのだろう。
しかし、こんな世の中に生きているといつの間にか際限なくモノを求めるようになってしまう。
大画面テレビ、ハイスペックなパソコン、最新機能満載のエアコン、コンポ。革張りのソファに、ふかふかのベッド。
物に満たされると心が満たされる気がする。それが自分の価値なのだと思うようになってしまう。
実際はそうではない。目を凝らしてもよく見えない自分の価値をモノに仮託しているだけだ。
『これだけ高価なモノが買える自分は、高価なものに囲まれている自分は素晴らしい!』という、自己喪失の宣言である。


自分の欲望をどこまで認めるか、というのは結構むずかしい問題だったりする。
昔と比べ格段に豊かになった現代で、僕らは何故か苦しみながら生きていかないといけない。モノが多い分だけ、一回一回の迷いの種類は増えているのかも知れない。
タイラーのような生き方はなかなかできないけど、憧れる自分は確かにいる。そういう自分を認めることから始めないといけない……のかもしれない。


まー、とりあえず面白かったということで。まだ見ていない人はレンタルビデオショップへGO。
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