『CROSS†CHANNEL』を振り返って

ツイッターやってたときにお世話になったふぇいせっとさんが感想を書いてくださいました。個人的な要望を叶えてくださってありがとうございますw
初盤が発売されてから8年も経つと感想やレビューもなかなか新しいのが出てこなくて寂しいんや……←


■「CROSS†CHANNEL」感想 -こまつぶとシャーレ-


自分がこっちの世界に本格的に踏み込んだのも、また書き手として歩み始めたのも、きっかけはこの作品でしたので、思い入れは多々あります。
こういう形式の作品っていうのは往々にして、設定に対する考察や批評が盛り上がる傾向にありますが、個人的には登場人物たちの感情にこそ注目して欲しかったり。
何故かというと、ふぇいせっとさんが書かれている通り「>「絆」というテーマにしても、一点突破型のkey作品に比べて緻密かつ多角的にシナリオが積み上げられている」からです。


人間は興味があるのに反対の態度をとってしまうということが結構あります。大人に成長してなお、それはあまり変わらない。
CROSS†CHANNEL』のテーマはやはり「人は本質的に重なり合うことはできず、孤独である。そのことを受け入れてもなお交差を求めて生きるのが人である」ということ。そしてライターの田中ロミオ氏はこれを描くために、どこまでも遠回りをしている。
主人公太一はどこまでも自身の本質とは反対の態度を取り続けるし、他のキャラクターたちもまた同様に。
人間の絆のもどかしさを表現するためには、どうしてもそれが必要だったといえるんでしょうね。そしてこの遠回りな書き方は田中ロミオ氏本人の反対の態度の表れなのかも、と。


不器用さゆえにでなく、どこまで本質的に描くために遠回りして書くというのは言うまでもなく技巧的に難しいことだし、それを実現するにはどのキャラクターに何を仮託するのかというハッキリとした意識が必要になる。役割を厳密に仮託するというのは、登場人物ではなく、キャラクター(デフォルメされた存在)だからこそできることで、それをカッチリとやりきった作品が18禁ゲーム業界に出たというのはある意味自明なのかも。
自分も物書きを志して9年目になりますが、どれだけ書いても超えられる気がしないですねw

余談

前にも書いたと思いますが、巡り巡って批評や考察というモノから距離をおくことにしました。
これは持論になりますが、「おそらく良い批評を書くことと良い作品を書くことは両立できない」んでしょうね。
面白い作品を書くには客観的な自分が必要になると言われますが、ある地点を超えたらそれでは頭打ちになってしまって、逆に超主観的に書いたほうがいいのではないか。
そんな風に確信に近い思いがあったりします。
難しいよねーん。