最近気づいたこと(散文でGO)

『お金』に対する感覚が徐々に変わってきてる。
自分という人間はお金に対して『恐れ』と『執着』を人一倍抱いて生きてきました。これはどんなに勉強しても、変化させようと思っても微動だにせず、むしろそうしているうちにより深く絡め取られてしまったようにも思えます。
これは家庭の環境によるものが大きく、一つのトラウマとなっているようです。


自分の好きな作品の一つ『キラ☆キラ』に「貧乏なんてなった人にしかわからないし、出来ればなるもんじゃない」的なセリフがありますが、本当にそのとおり。
お金がないことによる圧迫感、焦燥感は容易に人をダメにします。
ただ、だからといってただガムシャラにお金だけを求めていき急ぐのもなんかちがうよねーと。
自分は上のセリフを言ったヒロインのように賢くも、明るくも、突出した才能があるわけでもないんだけど。


お金ってなんだろうか?
いまだ明確な答えは出ませんが、自分とお金のベストな距離感が掴め始めてる気がします。


また、才能ってのも自分の中での定義が出来てきたような。
本職とは違うけど、書くために生きてる自分にとってはなかなか痛い単語。
バクマン』とか見るとヤル気が出る反面、唐突に落ち込んだりします。

バクマン。 1 (ジャンプコミックス)

バクマン。 1 (ジャンプコミックス)


生まれてこの方、『スゴイ才能を持った人(または作品)を見て、感動よりも落ち込む』という体験をしたことがなかったんですが、実は少し前にしまして。
とあるボカロPさん。もちろん作曲が本業だけど、楽器もガチでうまく、しかも歌もうまい。コラボしてるイラストレーターさんも趣味で歌ってみた動画とかをあげてたんですが、こっちもうまい。
マルチクリエイターに憧れているわけではないけど、かつて一時でも自分が本気で打ち込んでたモノを趣味とか遊びで乗り越えられるとやっぱりショック受けるよなーと。


クリエイターかワーカーかと問われると、自分は紛れもなく後者。
だからこそ出来る勝負の仕方があるとやってきて、実際に成果も出してきてるわけですが、こういうトンデモナイ才能の塊みたいなモノを見るとw


才能とはまた少し意味合いが違いますが、自分は『性質』を重視するようになりました。
例えば、性格、思考の癖、モノの捉え方なんかがそう。
先天的なモノと、後天的なモノがあるけど、どちらも一度固まってしまえば変化させずらい。
仮に運良く悪癖として意識できたとしても、それを治すのにはかなりの手間と苦労が必要だし、そもそも完全に治せるものかもわからない。
そう考えていくと、癖一つとってみても最初から悪癖と決め付けるのではなく、別の面から見てやればいい。
飽き性も見方を変えれば、色んな物に興味を持てる性といえるのでは?
屁理屈かもしれませんが、それでも少しずつ自分の性質を見ていくと何に向いているのか、どうやれば無理がないのかがわかってくる気がします。
それでも、時々どうしても自分の耐え難い悪癖に合うときもありますが、根性で乗りきれるならそれもまたよし。治せそうなら治せばいいし、無理ならそれはもうそういうものだと受け入れるしかない。


超めんどくさがり屋な自分。
快楽主義な自分。
悲観的すぎる自分。
努力が苦手な自分。
人付き合いが苦手な癖に寂しがりやな自分。


色んな自分がいるもんで、すべからくクソッタレなダメ人間成分ですが、自分に配られたカードはこれしかないものでw
やりきれないけど、誰かになろうとするんじゃなく自分の持っているモノで何かを作っていくのが唯一の解なのかもしれない。
ついでにいうとこれも僕の中のダメ人間成分のどれかが言い訳ついでに書いてるのかもしれない←


でも、それでもまぁいいんじゃないかと思えただけ今のところはヨシとしよう。
ではではー。



PS:ツイッターに馴染みすぎて文体がごっちゃだけど、これもまぁいいかと思えt(ry